2014年02月28日

大和和紀「イシュタルの娘〜小野於通伝〜」その35感想〈B年E・LOVE2014-04〉

「イシュタルの娘〜小野於通伝〜」 〈伝その35 母となる〉
大和和紀(38ページ)
「BE‐LOVE(ビーラブ) 2014年2月15日号(4号)」講談社(2月1日発売)

《感想》
今回のメインは醍醐の花見。
醍醐の花見は慶長3年春、豊臣秀吉が死ぬ直前に催した大規模な花見の宴。
於通の出産が醍醐の花見の前後らしいことと、この時に於通の書いた書が残っているのは事実です。
今回から近衛信輔が近衛信尹(のぶただ)に改名します。
慶長の役(第二次朝鮮出兵)の成り行きを前半でまとめて解説していますが、日本軍が半島から引き揚げるのは秀吉の死後になります。

★次回掲載は2014年6号(2014年3月1日ごろ発売)。

イシュタルの娘〜小野於通伝|作品紹介|BE・LOVE|講談社コミックプラス
(出版社公式ページ)

《あらすじは続きへ》

《あらすじ》
於通の妊娠に大喜びする信輔。

慶長3年10月に終結した慶長の役(第二次朝鮮出兵)では半島に大軍を送りながら戦果を得られず、秀吉の家臣団に亀裂をもたらした。

時を戻して慶長2年。秀吉は生まれたばかりの徳川秀忠の娘・千姫(母は江与)と4歳になる自分の息子の秀頼を婚約させる。於通が伏見の徳川屋敷の江与に出産祝いにうかがうと、生まれたばかりの姫はすでに縁組が決まっていた。

慶長2年、於通が女児を出産。のちに母と同じ小野図(つう)と名乗り女流書家となる。
娘の誕生を喜ぶ信輔は、初子(第一子)だからと娘に「太郎」と命名する。
ついでに自身の名前も信尹(のぶただ)と改める。
於通の娘の誕生祝いが前子や於ね、淀の方、江与たちから届き、親子はひっそり幸せに暮らした。

慶長3年3月、太閤秀吉が京都醍醐寺の山で花見の宴「醍醐の花見」を催す。於通も招かれ、娘を信尹に預けて久しぶりに出かける。華やかな花見ではあるが、朝鮮の戦況が思わしくないためか来客が少なく護衛が多い。
宴を離れ、一人で散策する秀吉を心配する於通。秀吉の影が薄くなるのを見て驚いたところで、後ろに来ていた徳川家康に声をかけられる。於通は家康から放たれる光が強くなったことに気付く。

5月、秀吉が疫病に倒れ衰弱する。大名たちを呼び集め、自分の死後の秀頼の後見を頼む。慶長3年8月、豊臣秀吉没する。
秀吉の死を受け、信尹は宮中復帰を宣言する。

《戦国時代の着物などの参考文献》
時代考証・日本文化/和服参考文献@夏貸文庫

《小野於通関連書籍》
小野於通(おののおつう/小野お通)に関する書籍
posted by 詞己 at 00:00 | TrackBack(0) | 「イシュタルの娘」感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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