2015年08月20日

大和和紀「イシュタルの娘〜小野於通伝〜」その47感想〈BE・LOVE2015-17〉

「イシュタルの娘〜小野於通伝〜」 〈伝その47 敷島の巫女〉
大和和紀(36ページ)
「BE‐LOVE(ビーラブ) 2015年9月1日号(17号)」講談社(2015年8月12日発売)

《感想》
今回は扉ページなしでいきなり本編。

「猪熊事件」は若い公家の乱行事件が公家文化の崩壊寸前まで社会的影響を及ぼし、幕府が公家に介入するきっかけとなりました。

「イシュタルの娘」第1話で初めて会ったとき、小野於通12歳、近衛信基(信尹)14歳。天正7年(1579年)安土城天守閣が完成する少し前のこと。
信尹は永禄8年(1565年)生まれ。於通は淀殿(茶々)と同い年という設定。淀殿は永禄10年(1567)生まれと推測されていましたが、近年では永禄12年(1569年)誕生説が有力になっています。この話では於通は永禄10年(1567)生まれのようです。
今回の話が慶長14年(1609年)なので二人が出会ってもう30年。すでに40歳を超えています。人生50年の時代だから若くはないですね。

★次回掲載は2015年19号(2015年9月15日ごろ発売)。

「イシュタルの娘〜小野於通伝〜」大和和紀|BE・LOVE|講談社コミックプラス
(出版社公式ページ)
※第1話試し読み。最新話のダイジェスト。

BE・LOVE|講談社コミックプラス
雑誌公式サイト

《あらすじは続きへ》

《あらすじ》
於通を凶眼を持つものとしてののしり追い出そうとする敷島の巫女。
巫女の言うままに、於通にしばらく登城を遠慮するようにと告げる淀の方の態度に、於通は衝撃を受ける。
淀の方は巫女のお告げに従い、秀頼に武芸や軍楽をやめさせてしまった。

慶長14年(1609年)7月。猪熊教利ら複数の公家の乱行が再び発覚。宮廷女官5名、公家7名を含む14名が京都所司代に逮捕された。世にいう「猪熊事件」である。
後陽成帝は怒り心頭で全員死罪にすると言い出すが、周囲が公卿に死罪はないと必死でなだめる。ついには帝は徳川に任せると言い出し、困った公家たちは近衛信尹に相談する。
事件で逮捕されたのが良家の子女ばかりで所司代も判断に困り幕府に相談。家康が、公家で判断できないなら武家で処断しようと言い出す。

名門の跡とりを死罪にして家が断絶すれば、その家に伝わる伝統が絶えてしまう。それは公家社会の崩壊、公家文化の断絶となる。そのことを憂えた信尹は、於通を後陽成帝の母・新上東門院に面会させ、家康に助命嘆願してもらうよう頼む。
於通の代筆で、新上東門院からの助命嘆願の手紙が家康に届いた。家康の裁定は、首謀者の猪熊と仲介者の歯医者は死罪、残りの者は流刑となった。

牢に入れられた猪熊のところに信尹が訪れ、逃走資金を与えて逃がしてやる。罪人を逃がしたら信尹が危ないと青ざめる猪熊に、信尹は武家が公家を裁くのが許せないから逃がすのだという。

数か月後、日向に潜伏していた猪熊がとらえられ京都に護送される。
10月17日、猪熊教利が常禅寺にて斬首。猪熊は着飾って堂々と刑場に向かい、市井の人は猪熊の男前ぶりに歓声を上げた。

朝廷始まって以来の厳しい処分であった。以降、幕府が朝廷に介入するきっかけとなる。

しかし帝は自分の意見が通らず減刑されたことに怒って譲位を口にする。

後陽成帝が譲位を口にしたことを伝え聞いた家康は、徳川が帝を擁立する番だと言い出す。

事件のあと、おのれの無力さを嘆く信尹と、それをやさしくなぐさめる於通。於通は自分たちも若くないと自覚しながら夫への愛情を再確認する。

高台院(於ね、北政所)に面会する於通。高台院から、秀頼が武芸をやめて肥え太った話を聞き驚く。さらに大阪城では敷島の巫女がすっかり居座っているといわれる。巫女の「験力」で大きな魚を取りだしたのを高台院も見たと証言する。
このままでは豊臣家が危ないと嘆く高台院に、於通は淀の方を言いなりにする敷島の巫女を追い出すと申し出る。

大阪城の夜、酒におぼれている敷島の巫女のところに於通が現れる。
自分を退散させるという於通に、まじないを唱えて生きた蛇を出現させる。そこに飯縄の大夫が現れ、ひるむ於通に加勢する。

《戦国時代の着物などの参考文献》
時代考証・日本文化/和服参考文献@夏貸文庫

《小野於通関連書籍》
小野於通(おののおつう/小野お通)に関する書籍

信尹の素顔と太郎姫『三藐院 近衛信尹―残された手紙から』前田多美子〈思文閣出版〉
posted by 詞己 at 23:49 | TrackBack(0) | 「イシュタルの娘」感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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