2014年06月04日

信尹の素顔と太郎姫『三藐院 近衛信尹―残された手紙から』前田多美子〈思文閣出版〉

『三藐院 近衛信尹―残された手紙から』は「イシュタルの娘〜小野於通伝〜」(大和和紀)のコミックスで、参考文献にあげられている本です。
Wikipediaの近衛信尹の項目で、太郎姫という庶子がいたという情報を得て、実在の信尹について調べてみました。

真面目な学術書ですが、すこぶる面白い。「イシュタルの娘」の信尹の人物像にかなり影響を与えています。大喰らいだとか、子煩悩だとか、平民の名前を名乗ったり平民のなりをして周囲を驚かせたり、マンガの脚色かと思ったことが実在の信尹のエピソードでした。
周囲の人も太郎姫の存在を知っていて交流もあったらしい。「イシュタルの娘」では実際は交流のある信尹の腹違いの兄や妹たちのことははぶいているし、この先はどういう展開にするのだろう。
太郎姫の母親が小野於通というのは「イシュタルの娘」の創作ですが、書画を通じて交流があった小野お通と近衛信尹に、それぞれ片親が不詳の子どもがいたという偶然が驚き。
図書館で借りた本ですが、結局買ってしまいました。



『三藐院 近衛信尹―残された手紙から』
(さんみゃくいん このえのぶただ)
前田 多美子 (著)
単行本(A5判ハードカバー): 270ページ(カラー口絵2ページ)
出版社: 思文閣出版
発売日: 2006年4月
商品パッケージの寸法: 21.2 x 15.2 x 2.2 cm
定価:2,300円(税別)

「寛永の三筆」の一人、近衛信尹の生涯を、彼が書き残した手紙・日記・色紙などから読み解く学術書。
著者は古筆学の研究者で信尹の書の資料を長年集めてきた人。京都の陽明文庫(近衛家の資料保存施設)に残された文書も多く参考にしている。

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2010年08月25日

『小野お通』真田淑子(風景社)

『小野お通』
著者:真田淑子(さなだ・よしこ)
発行所:風景社(長野県長野市)
初版:平成2年5月(1990年)
定価:2500円
A5判ハードカバー/本文194ページ・カラー口絵28ページ

著者は真田勘解由家の子孫。
(真田勘解由家は、真田家二代信政と二代目小野お通の息子・信就を初代とする真田家分家)
筝曲八橋流宗家。
母は筝曲八橋流再興の祖、真田志ん。
大正2年10月26日(1913) 長野県松代町生まれ。
東京府立第八高女、東京女子高等師範学校国語国文科(現御茶ノ水女子大)卒業。
東京、大阪、長野で教師を勤める。
晩年は母の跡を継ぎ筝曲八橋流宗家として活動。
平成15年1月23日(2003)90歳で没。

日米教育交流計画(フルブライト計画)でアメリカ留学したこともある優秀な先生です。

関西学院中学部第一回生同窓会・眞田先生訪問記(4)
真田淑子先生(さなだよしこ・1913−2003)の略年譜と業績

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2010年02月18日

幸隆・昌幸・信之・幸村『真説・智謀の一族 真田三代』三池純正



真説・智謀の一族 真田三代
三池 純正
洋泉社(新書y 155)(2006/06)

信濃の戦国大名・真田氏。初代・幸隆、二代・昌幸、三代・信之と弟の幸村。
徳川家康を何度も苦しめた武勇で知られる叛骨の一族。
残された確かな資料や、城の遺構の発掘調査などの最新の研究から、その真実の歴史をたどる。

関東の戦国大名の勢力争いの中、武田・北条・上杉・豊臣・徳川と次々に主を変えた真田家は信濃の名門・滋野姓海野氏の嫡流を名乗る。
秀吉からは「真田は表裏者(裏切り者)」「表裏比興者(ふとどきもの)」と言われるが、真田からすれば主を刻々と変えるのは、滋野一族の領国を守るための一貫した行動であることがわかる。

石田三成が中心となった豊臣軍(西軍)と徳川軍(東軍)とが対立したときは、親子三人で話し合って昌幸と次男・幸村は秀吉への恩義から西軍、家康の養女を妻にした長男・信之は東軍に分かれる。
昌幸と幸村が立てこもった上田城で、徳川秀忠ひきいる徳川軍が足止めされて関ヶ原の合戦に遅参する。関ヶ原の合戦が東軍の勝利で終わった後、昌幸の所領は没収され、東軍にいた長男の信之に引き継がれる。信之の助命嘆願で昌幸・幸村親子は紀州九度山に配流される。
実は、徳川軍は路銀が足りず使いが江戸に調達に行っている間に目の前にあった上田城を行きがけの駄賃に攻めただけで、本気で上田城攻略にてこずっていたわけではない。路銀が足りないとかいろいろ恥ずかしい理由で大事な合戦に間に合わなかったのをごまかすために、真田昌幸に責任を押し付けたのだとする。

家康からの赦免を望みながら、九度山に没した昌幸。三十代・四十代の働き盛りを配流の地で朽ち果てるところに豊臣方から誘われ、九度山を脱出し大坂城に駆けつけた幸村。真田丸では大坂冬の陣で徳川軍に大きな被害を与える。和議の後は徳川方の誘いをはねつけ豊臣家への忠義を貫き、夏の陣では家康の本陣に討ち入りながら壮絶な最期を遂げた幸村。

徳川方について真田家を守った長男・信之だが、幕府によって上田から信州・松代に移封される。真田の本拠地を取り上げられても耐え、松代藩真田家は明治維新まで続き、戦国時代の書状などが伝えられた。

小野お通についても最後に数行、信之の友人として出てくる。信之が松代に移ったあと、領地には善光寺などの名所があると紹介する手紙を京都にいた小野お通に送っている。

posted by 詞己 at 00:16 | TrackBack(0) | 小野お通関連書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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